阪神電車出屋敷駅前 リベル東側広場で、地域の「豆まき」が行われました。ここでも、本校、和太鼓クラブ「竹谷っ鼓童」が大活躍。「豆まき」の雰囲気を盛り上げました。(ちょっと、太鼓が転がってしまうというハプニングはありましたが・・・みんな落ち着いて演奏していました。) |
阪神電車出屋敷駅前 リベル東側広場で、地域の「豆まき」が行われました。ここでも、本校、和太鼓クラブ「竹谷っ鼓童」が大活躍。「豆まき」の雰囲気を盛り上げました。(ちょっと、太鼓が転がってしまうというハプニングはありましたが・・・みんな落ち着いて演奏していました。) |
1月23日(月) 給食集会が行われました。毎日おいしい給食を作って下さっている調理師さんへ感謝のお手紙を渡しました。 |
次に給食についてのクイズを行いました。調理師さんの人数や調理を始める時間など問題にありました。調理師さんの人数は子どもたちの予想より少なく、調理開始時間は思っている以上に朝早くからして頂いていることを知りました。改めて給食室への感謝の気持ちが高まりました。 |
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追悼集会は全校で行い、保護者や地域の方にも来ていただきました。黙祷や和太鼓クラブの演奏をしました。
詩の発表会では、それぞれの学年に応じた内容の詩を各学年工夫を凝らして表現豊かに発表しました。
1月17日(火) その1
「1.17を忘れない」地域防災訓練とともに、今年度は「東日本大震災」について学習しました。講師には
宮城県気仙沼市立鹿折小学校の元校長先生に、 遠方よりお越しいただき、低学年と高学年に分けて、
「あの日のこと・そして命」をテーマに、地震、津波、避難の様子や被災の状況、復興について、写真などを
見せていただきながら詳しいお話を聞かせていただきました。
〇火災で焼失した校舎が、50年にも渡る地域の人々の願いによって、やっとできた学校だったのに、
被災してしまったこと。
〇津波のあとには、家は見あたらず、がれきの山だったこと。
〇自らすべて手書きした卒業証書が、泥で汚れてしまったけれど、一枚一枚、きれいに拭いて、乾かして、
一生涯忘れないようにという思いから、 敢えてそれを手渡されたこと。
〇新築して6年しか住んでいない自分の家も、流されてなくなってしまったこと。
〇泣きながら余儀なく転校していった54人の子ども達のこと。
〇みんな無事だったのに、一時避難した場所で、車で迎えに来たおじいちゃんに引き渡した3人の子ども達が
おじいちゃんとともに車ごと流されて亡くなってしまったこと。
〇当時2年生2人が、行方不明のまま未だに見つかっていないこと。
〇復興については、地域の人達を元気にするため、運動会では手作りの玉での1000個玉入れや、100mも
ある綱の綱引きなど保護者や地域の人達とともに楽しんだこと。
〇今も仮設住宅が、校庭に建っていること。 など・・・
講師の先生の最後の卒業生に送った言葉を教えていただきました。『難きが故に尊し』(かたきがゆえに
とうとし)、自分の夢が目標が高ければ高いほど、難しければ難しいほど、成し遂げた時の喜びは大きい、と。
先生、ほんとうにありがとうございました。
1月13日(金) 5校時
6年生が、PTA主催により、恒例の「お茶会」をしました。日本文化の体験です。
お茶の先生にはMOAの方にお越しいただき、簡単な作法を教わったあと、
とても甘~い和菓子とともに、6年生にはちょっぴり苦い抹茶をいただきました。
略式なので釜などありませんが、金屏風のある、学校の「和室」でおこないました。
正座するだけでも大変な子もいましたが、落ち着いた「和」の雰囲気を味わうことができました。
地域の方々にもお越しいただき、和の「おもてなし」を学びました。
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